おばちゃん達から学ぶ、コミュニティの真髄と、湧き出るものを重要視した方がいい話
今日は、「絞り出すよりも湧き出てきたものを大切にした方がいいよ」
というテーマで書いていこうと思います。
今日ここでいう絞り出すとは、『アイディアとかネタと呼ばれる』類のもの。
文章を書いたり、動画や音声を取ろうとしたりする時に、どうやってアイディアを思いついているでしょうか。多くの人がやってしまいがちなのは、
「今日は何について話そうかな」とか、
「何か書けることはなやろうか」と、必死に自分の中から絞り出すという行為。
僕も最初はそうでしたね。
常に何か書けることを探していたし、毎日必死に脳内からネタを抽出していたと。
イメージとしては、歯磨き粉や洗顔クリームを最後に絞り出して使う感覚。
最初の1回や2回はいいかもしれませんが、ただでさえ少ないものを絞り出しているんやから、そのうち全く出なくなるのは当然のこと。
こうして自分の中から必死に生み出しても、
書きたいことや言いたいことではないから、どこか惰性になってしまうんです。
その結果なんかエネルギーが込められず、文字数だけが傘増しされた、しょうもないコンテンツが完成。内容を書くことに必死になるがあまり、伝わる構成を考えたり表現にこだわることもできません。
ガス欠でネタ切れをするうちは、インプットとアウトプットの回路が整っていないので、日々の訓練で鍛えていく必要がありますね。伝えたい内容が溢れてくれば、それを表現している時間の方が足りなくなってくるので。
それの代表例とも言えるのが、その辺にいるおばちゃんたち。
彼女らは、常にたわいもない会話で盛り上がっていますよね。1年中ずっと。
「まだ話すんかい!」とツッコミたくなるくらい、ひたすら喋り続けているのを1度は目撃したことがあるはず。
では、なぜそうしたことが可能なのでしょうか。
それは、
他人と会話する時に、内容を絞り出すようなことをしていない
から。
何か話を始めれば、四次元ポケットのように話す内容が溢れてくるんです。
誰かが話した内容について何かしらのツッコミや疑問点が生じ、最初の内容を起点に、どんどん違う話題が連鎖してくんですよね。そして、あるコミュニティ(A)で聞いたことを、また別のコミュニティ(B)へと運ぶ。それらを繰り返すことで、いつまでも話し続けられるシステムが構築されるんです。
こうして、いつまでも続くアウトプットの無限連鎖。
何か明確なお題があるわけではなく、アドリブであそこまで喋り続けられるのは、1つの才能とも言えるでしょう。
中身があるかないかは置いといて。
情報発信をしていく上では、こういう状態になるのが理想やなぁと。
一見何気ない光景ですが、実はそれこそが強固なコミュニティ。
現代において井戸端会議は、つい無駄なこととして見られがち。でも遠い昔に遡ると、村を守るという重要な役割を担っていました。
そしてそれがずっと残っているということは、現代においても何かしらの意味があるはず。全く意味をなさないものであれば、自然と淘汰され、そんな光景を僕たちが見る機会もなかったでしょうから。
自分以外に誰かメンバーがいると、自問自答という行為が対話へと進化します。ずっと1人で自問自答していても、思いつくことや降ってくることには、限界があるので。
何気ない会話から良質なアイディアを思いついたりするのは、
自分の中にある要素と、外にある要素が上手く結合するから。
特に会話というのは、アイディアが溢れ出ている状態。
ラリーの中で、自分では開けれない引き出しを他人が開けてくれ、色んな話題が展開されていくのです。
多少の知識さえあれば、仲の良い1人とコミュニティを作り、インプットとアウトプットを光速で行えます。僕も毎週、メンバーとミーティングをしているんですが、面白いようにネタが溢れてきますから。
ネタやアイディアを【絞り出す】のではなく、【湧き出てくる】システムを作り上げれば、コンテンツはいくらでも創り出せますよ。
僕が尊敬する発信者も、いくつも自分のコミュニティを持っており、そこからコンテンツを生成し続けています。その結果、15年以上たった今も、常に最前線を走り続けられるのでしょう。
始めたてまもない頃は、自分が持っているものを必死に絞り出してアウトプットすることが多いと思います。
でも、すぐに限界がきて苦しくなるでしょう。
そこから上手く他人を巻き込み、ネタの源泉を獲得していくことが、ものすごく大事やなーと。
ということで今日はこの辺で。ではまた。