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コンテンツにおける消化不良と、実生活の消化不良の違いについて。脳内に疑問を生じさせるお話

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今日は「コンテンツにおける消化不良」について書いていく。

コンテンツにおける消化不良について。

一般的に、実生活で起こる消化不良は良くないこととして見なされる。

食べすぎたり、食べてすぐにゴロゴロしていたりしたら、気分が悪くなったという経験は誰にでもあるはずだ。

食べたものが消化されて僕たちの体を構成していくから、その活動をスムーズに行うためにも、なるべく消化不良は起こさない方がいいというわけだ。

一方で書籍や、何らかのセミナーなどの【コンテンツ】においても、この消化不良という概念が存在すると僕は思っている。

それは、

【コンテンツの中身が完全に理解できてない時に、自分の中にもやもやした感覚が生じる状態】

のことを指す。

必死に理解しようとしているんだけど、なんか意味が分からんなあ〜という感じ。

ぱっと見だとこの消化不良は、あまり良くないものに見えるかもしれないが、実はそんなことはない。もし、この消化不良が起こらずに、全ての内容が全部スッと理解できたとすれば、自分の『思考』を挟む余地がなくなってしまう。

そうなるとただ内容が理解できただけで、自分の考えというものが介在していないことになる。これでは、ただ相手が言っていることをそのまま吐き出す羽目になるので、アウトプットの質を著しく低下させてしまう。

そうならないためにも、この消化不良というフェーズを挟むことが重要になるというわけ。

じゃあどうすればこの消化不良は発生するのか?

答えは簡単で、疑問に思った所や引っかかる所をすっ飛ばさない事だ。


消化不良が生じれば脳が思考を開始して、もやもやしているところを解消する動きが活発になる。

それはつまり、腑に落ちないところなどを、自分の言葉や表現で置き換えて理解することにつながるから、その段階で始めて自分の考えが導入されるのだ。 

答えがでるまでの間は上手く言語化出来ないから、何とも言えないもやもや感が生じ、これが消化不良に該当する。

疑問に思った部分に向けて、脳は自分なりの最適解を考えるので、とにかくたくさんの疑問を生じさせ、積極的に消化不良を起こすべきだと僕は思う。

これを繰り返すことで、思考に深みと幅が付加され、他の人が思いつかないようなアイディアを生み出せる。

だから、消費するコンテンツが容易すぎてしまうと、この消化不良は起こすことができない。

中身が薄すぎる書籍や、具体的すぎるノウハウが書かれた記事などを消費しても、

「あーなるほどね」

とすぐ理解できて一瞬で終わってしまう。

引っ掛かりがないと脳は思考を始めないので、なるべく躓きやすいものを選ぶことが個人的にはおすすめかな。


だから僕も消化不良を起こす前提で、哲学書やボリュームのあるnoteなどを消費するようにしている。

どうせ何回も復習するのだから、
簡単に理解できてしまうものだとつまらないからね。

隠されているエッセンスを思考によって抽出できた時に初めて、使える知識として定着するから、とにかく行き詰まって考えまくるというのが、自分を高めていく1つの良い学習法ではないだろうか。

一度このもやもやする感覚を身に付ければ、今までならスルーしていた部分にも注目するようになるから、その度に思考して無限に学びを得ることができるのだ。

どれだけ書籍を読んだとか、いくら有料noteを買ったとかは正直自分の成長には関係ないと思う。それよりも、

『どれだけ目の前のコンテンツから深い学びが得られたか

の方が半年くらい学習してきて、遥かに大切だと感じている。
まあ結局は質に依存するからね。

ということで今日はこの辺で。ではまた。

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ジラ谷
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世界観構築やら、思考力やら言語化について発信してます。他にはない面白いコンテンツを用意してますので、楽しんでいってくださいまし。
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