情報を連鎖的に仕入れる良い脱線と、悪い脱線について。関連性を繋げていくお話
今日は、【良い脱線と悪い脱線】について書いていく。
よく何かのセミナー動画を見ていたり、読書をしている時などに、集中力が切れて違うことを不意にやってしまうことがあると思う。
そういう行為を、ここでは【脱線】と呼ぶことにする。
一見この脱線は本題からずれているので、よくないように感じるかもしれない。
さっきまでは僕もそう思っていた。だが、脱線したことによって今日の記事を書くヒントをもらえたし、結果的に新しい知識を得ることができたので、よかったなあと。
そんな脱線について書いていくのだが、さっきの体験を通して、脱線には2つの種類があると感じたわけね。
まず1つ目の脱線は、よくない方の脱線について。つまり、本を読んでいたりして、なんか集中できずにYoutubeやツイッターなどを周回してしまう、サボりの脱線。
よくあるのはこのパターンだと思う。
僕もよくやってしまいがち。
通知音とかに反応してしまって、ついついアプリを開いてしまう。かなり集中している時には起こらないけど、そこまで負荷のかからない作業をしているときなどは、このパターンの脱線に陥ってしまう。
さて、次に2つ目の脱線について。2つ目は、本題からずれてはいるんだけど、作業は続いているという状態の脱線。
さっき僕は哲学書のインプットとしてマインドマップを作っていたんやけど、その時に出てきた「普遍」という言葉の意味が、ふと気になった。
ネットで意味を調べていたら、東大の哲学研究所という所の教授が書いた論文のPDFファイルが出てきたので、面白そうだと思ってそれを開いたわけ。
ある部分に「普遍」に対しての面白い文章があって、結果的に意味を確認するだけじゃなく、そこから派生して新しい知識を得ることにつながった。メインでやっていた作業は「マインドマップを作る」ということだったので、そこから離れてしまってるから、この行為も脱線に該当すると思う。
でも、さっき挙げたサボりの脱線とは違い勉強になったわけだから、
「こういう脱線の仕方は良いもんだな〜」と感じたわけ。
1つ目と2つ目の脱線の違いとして、
『前後の行動で関連性があるかどうか』
ということが挙げられる。それぞれを比較してみるとわかりやすいかなと。
1つ目の脱線・・・本を読む→途中で集中力がなくなって飽きる→読むのをやめる(本を読む行為の中断・終了)→SNS・Youtubeなどの巡回
2つ目の脱線・・・マインドマップを作成する→意味がわからない単語を調べる→関連性のあるPDFを開く→そこに書かれている新しい知識を入手
このように、1つ目では前の行為が完全に終わり、次の行為へと移行しているが、他方で2つ目は確かに本題から離れてはいるけど、元々の目的と関連性がある行動が行われていて、前後を全体としてみた時につながっているのだ。
例えで言えば、目的地のカフェへ行くメインルートから外れた脇道を進んでいたら、たまたま隠れ家的な良いケーキ屋を発見した感覚。
目的地からは離れてしまったけど、結果的に得られるものがある感じ。
よくよく考えてみれば、僕はこの2つ目の脱線を無意識のうちによくやっていて、メインの周辺に散らばっている、関連知識を多く仕入れていたようだ。
結果として、文章を書くときに核となる部分から、
周辺の知識を巻き込んで展開しやすくなるから、結構助けられている。
ここで1つ補足なんやけど、さっき挙げた1つ目の例で、SNSやYoutubeをネタ探しのために見ているとか、リズムを整えるために短時間だけ見てまたすぐ作業に戻るといった場合は、前後の行動に関連性があるため、良い脱線と言えるだろう。
「飽きて疲れたからやーめた」
という感じでシャットダウンしてしまうと、そこに繋がりは生まれないけど。笑
なので、2つ目の脱線においては何もネガティブな持つ必要はないと分かったのが、今日の収穫。
この記事で言語化してアウトプットするまでは、
「あーまた違うことをしてしまってるなあ」と感覚だったから。
「いやいや、それは言い訳だろ」って言われたら、確かにそうかもしれないが、結果としてレベルの高い情報にアクセスできたわけだから、僕としては有意義なインプットタイムだった。
自分がやっている行動を俯瞰してみて、それを細かく言語化することで、こうやってネタになるから、情報を仕入れるだけじゃなく、無意識にやっていることに注意を向けるのも大事だなと思った1日だったかな。
ということで今日はこの辺で。ではまた。