『凄さ』は何によって構成されているのか? 実態を知ることの重要性について。
さて今日は、『凄さの正体』について、
僕なりに思っていることを書いていきましょう。
凄いコンテンツや凄い人の、『凄い』とは何なのか。
結論から言うと凄さとは、
『不明な要素の集合体』
によって作られると僕は思うんですよね。
つまり自分にとって、分からない要素が多ければ多いほど、その対象を凄いと感じてしまうんじゃないかと。
言語化できない・秘密が分からないなど、理解の範疇を超えると、もやもやした感情に包まれるんです。
その状態ではすっきりせず気分が悪いため、何とかそれを解決しようとする。
「何故かはよく分からんけど、凄い人なんだ」
という説明を自分の中で作り上げてしまえば、都合がいいですからね。
楽ですし。
でも、この凄さとは自分が知らないだけで、ちゃんと実態を紐解いていくと、実は大したことなかったというケースも少なくはないんですよ。
例えば、何かのコンテンツを見て凄いなぁと思っても、元ネタをそのままパクっていたり、あるいは少し変えて使っているだけ、というパターンだったり。多くの人がアクセスできないような所から情報を持って来ることで、この『凄そうな感じ』という鎧を創出することは可能ですからね。
ほとんどのコンテンツには何かしらの元ネタがあり、それを利用しているだけにすぎません。学習を続けていけば、「これどこかで見たことあるなぁ」と感じることも増えてくるでしょう。
ただ、何も学ばずにひたすら他人のコンテンツを貪っていると、こんなことには気づかずに、毎回手のひらの上で踊らされるだけ。
知らないことを提供されれば、当然その対象に興味を持ってしまいます。
・このコンテンツは何から作られているのか?
・この人の発信にはどんなエッセンスが隠されているのか?
という、『実態を掴む練習』を積み重ねていくことで、構造を見抜く目が鍛えられるし、自分自身を高めるいいヒントにもなります。
これは良き学習方法やなぁと、僕は思うわけですよ。
どうしてもそれが分からないなら、元ネタの使い方がめちゃくちゃ上手な証拠やし、そういう人から積極的に学んでいけばいいんです。お金を払えば、どうやってコンテンツを組み立てているかも、教えてくれるでしょうから。
ひたすら隠したがるとか、ぼやかしているだけの人は、あまり信用しない方がいいですね。笑
そういう人はさっき挙げた他人の権威性を利用し、
見せかけの凄さを演出しているだけなので。
自分の情報源を公開してしまうと、他人にそのアクセス権を渡してしまうことになるから、それを避けるためにぼやかすのです。知れ渡ると自分の元でコンテンツを購入してもらえなくなると思っているんでしょう。
でも、そんな人は本当にすごい人ではありません。
本当にすごい人は、種明かしをしてもすごいのです。僕たち凡人にパクられたくらいでは、痛くも痒くもないんですよ。
日々の活動で、なんかこの人すごいなーと感じたら、「どんな要素が凄さを作り出しているのか?」を考えて言語化してみてください。面白い発見があると思うので。
では、今日この辺で。