経験や体験の捉え方を変える重要性と、アイディアを創出しやすくなる思考法について
さて今日は、
「何か記事を書きたい。 けどネタが思いつかない・・・」
「高級寿司屋やシーシャバーに行った」みたいな日常じゃない・・・
という人に向けて、僕が日々実践している考え方をシェアしていこうかなと。
別にこれは、
「このやり方すごいでしょう。えっへん!」
と威張りたいわけじゃないんです。
僕自身がネタ不足にことごとく悩まされ続けたから、その都度色々と考えているんですよね。
で、最近この記事に書いた考え方を用いることにより、ネタに困りにくくなったから、同じようなもやもやを抱えている人を、1人でも救えればいいなぁと思うわけですよ。
結論から書くと、
『日々の日常で遭遇する経験や体験に、自分が学んだことをトッピングしていく』
というやり方。
ポイントは、
・体験や経験=日常で遭遇する規模感
・学んだことをトッピングするという感覚
という2つの要素。
まず、なぜ「日常」を強調しているかというと、経験や体験を大きく考えすぎている人が多いなぁと感じたから。
実際に僕もそうでした。
稼いでいる人が書いている経験や、体験の具体例を読んでいくと、
・「高級な寿司屋で経営者と会いました」
・「〜に旅行へ行き、ものすごい貴重な学びを得ました」
・「数百万の自己投資をして、価値観が変わりました」
みたいな、あまりにも庶民の感覚から離れすぎていて、
「自分はこんな大きな経験や体験をしてないから、そういうことで記事を書いたりするのは難しいなぁ・・・」
という感情に陥りやすいと思うんです。
まぁ、日々規模の大きいものに触れていたら、思考が書き換えられるのは当然のこと。
それが当たり前になってしまうので。
でも僕から言わせれば、そういうことだけが経験や体験じゃないでしょうと。
個人的に
「自分が遭遇したイベントは全て経験や体験になる」
という考えですから、そこに規模感の大小はあまり関係ないんです。
仮に、そういう大きなイベントを前面に押し出してアウトプットをしたとしても、
「こんなことは自分にできないなぁ」
「自分とは違うな〜。共感できへんかも」
と思われたら、誰もついてきてくれません。
自分が逆の立場なら、非日常のきらきらした世界からネタを拾ってくるよりも、ごく普通のありふれた日常から色々なアイディアを持ってこれる人の秘密に迫りたくなる。
「なんでこの人は、同じような日常を生きているのに、ここまで多くの発見ができるんやろう」と。
だから僕は、そう他人に感じてもらえるように、
・「ラーメンを食べに行って感じたこと」
・「YouTubeを見て気づいたこと」
・「サウナでぼーっとしてたら発見したこと」
みたいな、誰でも経験できる切り口から日々アウトプットをしているですよね。
そういう小さな出来事であれば、1日を振り返ればいくらかは出てくるはず。
何かの行動をしていれば、その度に判断が必要になるし、感情が変化したり、疑問を抱いたりするでしょう?
「昼食におにぎりとパンを食べるかで悩んだ」とか、
「好きなアニメや映画を見た」という、ミニイベントでも全然構いません。
ただ、その起こったことを時系列順に書き連ねていくだけでは、単なる日記になってしまい、自分が発信する意味がなくなってしまいます。
佐藤健や吉沢亮の食べたものは気になるかもしれませんが、ジラ谷の昼飯に興味を持つ人はほぼいないと思うので。笑
そこで2つ目の、『学んだことをトッピングする』という要素が活きてくるわけです。
ここでトッピングという表現を使ったのは、あくまでもメインは自分の体験や経験であって、そこに奥行きや深さを付加するのが、学んだ内容の役割。
ライティングとかマーケティングとか、ブランドについてとか、日々色んなことを学んでいますよね?
ひたすら理論や概念を並べていくだけであれば、元ネタを教えて勝手に学んで貰えばいいんです。でも、そこに独自の解釈や経験・体験という要素が融合することで、自分にしか生み出せないコンテンツが誕生するわけですね。
情報はみんな平等にアクセスできるけど、体験や経験は均一化されないから、そこで差をつけていくほうがいいんじゃないかと。比較もされないですし。
ボリュームを増やしたり味付けをしたりして、読み手にとって何らかの価値や発見があれば、そのアウトプットは意味を持ちます。
たとえそれが、特別な経験や体験でなくとも。
最初はこのトッピングの感覚を掴むのが難しいですが、日々色んなことを言語化していれば、
「今日のテーマにはこの素材が合いそうやなぁ」
ということが、だんだん分かってくるはず。
こうして、
『日常の体験や経験×学んだこと』
というハイブリッド方式を極めれば、
情報を横流しにするだけの、不毛な戦争に巻き込まれることもありません。
出回っている情報やノウハウは、すぐみんなが駆けつけて椅子が無くなりますが、自分が遭遇するイベントであれば、奪われないし被ることもないですから。
仮に同じような経験をテーマに文章を書いたとしても、そもそもの考え方や捉え方が違うから、全く同じコンテンツができるなんてことはあり得ないでしょ?
日常は気付かぬうちにスルーしているだけで、よくよく観察してみればネタの宝庫。
だから、
「自分は全然大した経験や体験なんてしていない」
なーんて悲観せず、
「日々起こるドラマをどうすれば、面白く学びのあるように伝えられるだろうか?」
という視点で生きていけば、必ず活路は開かれます。
僕もこれからそういう能力をどんどん磨いていくつもりなので、何かまた良い方法が見つかったらシェアしていきますね。
ということで今日はこの辺で。ではまた。